統計の上では、わが国の映画の黄金時代は1958年(昭和33年)だった、ということになっています。この年の映画館の観客動員数が、11億3千万人でこれまでのピークとなったためです。

当時の日本の人口が、9千万人ですから、すべての国民が1年間に12回、1ヶ月に1度以上、映画館に通っていたということになります。

 

 しかし、作品的に見てみると、今からちょうど50年前の1954年(昭和29年)が、「映画の黄金時代」だったのではないかと考え、今回の展示となりました。

当時、外国映画に関しては、戦中・戦後に製作された作品がどっと公開された時期ですので、必ずしも、「1954年」を象徴しているとは云えないのですが、日本映画に関しては、キネマ旬報のベストテンを見てみても、巨匠の代表作が目白押しとなっています。

 また、松竹に助監督として、大島渚が京都大学から、山田洋次が東京大学から入社した年として記憶されることになります。

 一方、オットー・プレミンジャー監督の「帰らざる河」でブレークしたマリリン・モンローという28歳の新人女優が、大リーグのスターだったヤンキースのジョー・ディマジオとの新婚旅行で福岡に立ち寄って大混乱となった年として、または、オードリー・ヘップバーンが「ローマの休日」でアカデミー主演女優賞を受賞した年として、記憶されることになります。

 

 そういった、1954年(昭和29年)の映画界のトピックスを、「福岡」をキーワードとして展示しています。

 



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