| ○童謡・唱歌・わらべうた 年表 | |||
| 凡例:赤=童謡、青=唱歌、緑=わらべうた | |||
| 年 号 | 事 項 | ||
| 明治4 | 1871 | 文部省創設 | |
| 明治5 | 1872 | 学制の頒布 この中で小学校教科に「唱歌」が現れたが教える教材も教師もいなかったので、「(当分之を欠く)」と記してあった | |
| 明治8 | 1875 | 文部省は伊沢修二をアメリカへ派遣 唱歌教育実施のため音楽教育の見聞をさせる(〜明治11) | |
| 明治12 | 1879 | 文部省音楽取調掛(東京音楽学校の前身)設置 伊沢が初代御用掛 | |
| 明治14 | 1881 | 「小学唱歌集」(3冊) 文部省音楽取調掛が最初に編集したもの 初編は8千部重版 | |
| 明治20 | 1887 | 文部省音楽取調掛は、東京音楽学校と改称 「幼稚園唱歌集」文部省音楽取調掛 幼児も歌えるような29の唱歌  | 
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| 明治25 | 1892 | 「小学唱歌」(6冊)伊沢修二編 「うさぎ」「宮さん」「高い山」などわらべうたや流行歌なども採用 | |
| 明治33 | 1900 | 「鉄道唱歌」第一集 以下第5集まで全部で1千万部でる | |
| 明治34 | 1901 | 「幼稚園唱歌集」滝廉太郎・東くめ 「お正月」など東くめ等の幼時むきな歌詞に大部分滝廉太郎が作曲した20曲を納める 簡易な伴奏も | |
| 明治38 | 1905 | 「枯草」 野口雨情 「童謡運動」前の童謡「雛祭り」掲載 | |
| 明治43 | 1910 | 「赤い船」小川未明 | |
| 「子供の国」 竹久夢二 わらべうたを中心に回顧的に採集再謡したもの | |||
| 「思ひ出」 北原白秋 「童謡運動」前の童謡「曼珠沙華」掲載 | |||
| 「尋常小学読本唱歌」(全1冊)文部省 27曲「かぞえ歌」だけがわらべうたで他は日本人の新作曲 | |||
| 明治44 | 1911 | 「尋常小学唱歌」(6冊)文部省 「尋常小学読本唱歌」を前身とし各学年用が1つ1つ別冊で、全部日本人の新作曲 | |
| 大正7 | 1918 | 「赤い鳥」創刊 赤い鳥社 以降「童謡運動」起り、次々童謡の専門誌が創刊され、黄金期をむかえる | |
| 「赤い鳥」に西条八十「かなりや」発表翌年同誌初の曲譜付きで掲載 「赤い鳥」最初のヒット曲となる  | 
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| 大正8 | 1919 | 「とんぼの眼鏡」北原白秋 | |
| 「金の船」創刊 キンノツノ社 野口雨情を中心とした民謡わらべうた、追懐風な趣き | |||
| 「童話」創刊 コドモ社 | |||
| 大正9 | 1920 | 「赤い鳥」童謡最初のレコード発売 | |
| 「金の船」に「十五夜お月さん」発表(詩 野口雨情 曲 本居長世) | |||
| 有楽座で本居の長女が「十五夜お月さん」を歌い成功する 以降本居姉妹が歌手として全国をまわる | |||
| 大正10 | 1921 | 「鸚鵡と時計」西条八十 | |
| 「まざあ・ぐうす」 北原白秋 「マザー・グース」の訳詩集 | |||
| 大正11 | 1922 | 「コドモノクニ」創刊 東京社 | |
| 「金の船」が「金の星」と改題 | |||
| 「あやとりかけとり」竹久夢二 | |||
| 大正12 | 1923 | 「童謡と児童教育」野口雨情 | |
| 「童謡と教育」葛原しげる | |||
| 大正13 | 1924 | 「西条八十童謡全集」西条八十 | |
| 「大漁」金子みすず 雑誌「童話」掲載 | |||
| 「青い眼の人形」 野口雨情 | |||
| 大正15 | 1926 | 「からたちの花」 北原白秋 | |
| 「お日さま」 三木露風 | |||
| 昭和3 | 1928 | 「赤い鳥」 一時休刊 | |
| 昭和6 | 1931 | 「赤い鳥」 復刊 | |
| 昭和7 | 1932 | 「新訂尋常小学唱歌」(6冊)文部省 「尋常小学唱歌」が発行後20年以上経たので、歌詞が時勢に遅れているものもあり、改訂の必要が起こった | |
| 昭和11 | 1936 | 「うれしいひなまつり」発表(詩 サトウ・ハチロー 曲 河村光陽) | |
| 「赤い鳥」 復刊後第12巻第3号で廃刊 | |||
| 「かもめの水兵さん」(詩 武内俊子 曲 河村光陽)レコード化 | |||
| 昭和16 | 1941 | 教科名の「唱歌」を「音楽」と改称 | |
| 「ウタノホン」(上) 国民学校初等科第一学年用 国民学校令により教科書はすべて国定になる | |||
| 昭和18 | 1943 | 「童謡覚書」 与田準一 | |
| 昭和21 | 1946 | 「みかんの花さく丘」ラジオ放送で大反響 後にレコード化され大ヒットになる | |
| 昭和22 | 1947 | 教育基本法、学校教育法の公布、国民学校令の廃止 新しい音楽教科書発行 このときはじめて、文部省は作詞者、作曲者名を明記した | |
| 昭和24 | 1949 | NHKラジオ「歌のおばさん」開始 新しい子どもの歌運動がおこる | |
| 各出版社の発行する民間の検定唱歌教科書が文部省唱歌に代わって用いられることが決まる | |||
| 昭和29 | 1954 | 「めだかの学校」のレコード文部省芸術選奨文部大臣賞 | |
| 昭和30 | 1955 | 「ABC子どもの歌」(朝日放送)はじまる 後に「みんなと一緒」となり多くの子どもの歌をうみだす | |
| 昭和32 | 1957 | 「木曜手帖」創刊 サトウハチロー外編 童謡運動の流れを汲むサトウ等が集まって編集 | |
| 昭和36 | 1961 | NHKテレビ「みんなのうた」放送開始 「おお牧場はみどり」「ドレミの歌」「かあさんの歌」「森へ行きましょう」などうみだす | |
| 昭和38 | 1963 | 「ぞうさん」 まど・みちお 「ぞうさん」はじめ100曲。世の中にはびこるツマラヌ童謡へ反抗してつくられた画期的な幼児のうたの集 | |
| 昭和44 | 1969 | 日本童謡協会創設 | |
| 昭和45 | 1970 | 「スーカリーおじさんのマザーグース」谷川俊太郎 | |
| 昭和46 | 1971 | 「赤い鳥童謡運動」の流れをくむ「最後の童謡作曲家」といわれる海沼實の死去 | |
| 昭和50 | 1975 | 「マザー・グースのうた」谷川俊太郎 大変な好評ですぐに重版された 日本翻訳文化賞受賞 | |
| フジテレビ「ひらけポンキッキ」から「およげ!たいやきくん」(高田ひろお 詞 佐瀬寿一 曲)大ヒット | |||
| 昭和51 | 1976 | 「サッちゃん」阪田寛夫 | |
| NHK「みんなのうた」から「山口さんちのツトム君」(みなみらんぼう作詞、作曲)のヒット | |||
| 昭和55 | 1980 | 「ろばの会が」が25周年記念リサイタルを開き「新しいこどものうた’80」を刊行した | |
| 昭和56 | 1981 | 「第1回NHKこどものうたコンクール」 創作コンクールの先陣をきる | |
| 昭和58 | 1983 | 日本童謡協会は「日本童謡店」を開き大好評を得る このころから地方自治体を中心に各地方から童謡再びの機運が盛り上がり、さまざまな催し始まる | |
| 昭和61 | 1986 | フジテレビ「ひらけポンキッキ」から「はたらくくるま」(伊藤あきら 詞 越部信義 曲)がヒット映像世代の子供の支持をうけ、歌われた | |
| 平成元 | 1989 | "唱歌・童謡のふるさと鳥取を発信した鳥取県が音楽会、創作コンサートを始める | |
| 平成3 | 1991 | 「童謡サミット」が鳥取県で開かれ、以降毎年全国規模で開かれる | |
| 平成4 | 1992 | 「THE ANIMALS(どうぶつたち)」まど・みちお作 美智子選・訳 安野光雅絵 | |
| 平成10 | 1998 | 「THE MAGIC POCKET(ふしぎなポケット)」まど・みちお作 美智子選・訳 安野光雅絵 | |
| 平成13 | 2001 | 「声に出して読みたい日本語」 齋藤孝 唱歌なども紹介される | |
| 平成14 | 2002 | 「教科書から消えた唱歌・童謡」 横田憲一郎 | |
| 「声に出して読みたい日本語2」 齋藤孝 童謡・わらべうたなども紹介される | |||
| 「わらべうた」で子育て入門編 阿部ヤヱ | |||
| 平成15 | 2003 | 金子みすず生誕百年 全国で講演やコンサート | |
| 「わらべうた」で子育て応用編 阿部ヤヱ | |||
| 「童謡 心に残る歌とその時代」 海沼実著 日本放送出版協会 外 参照 | |||
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