事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0000026060
状態 受付済
質問日 2021/03/09


北九州市の勝山女学館(のちの美萩野女子高等学校)の創立者「吉村ヨシ」について知りたい。
(父親は佐賀藩医で、遣米遣欧使節団の御雇医師 川崎道民)

図書館からの回答

回答状態 公開済
公開日 2021/09/21
関連質問番号

以下4点を紹介。
参考資料1『創立60周年記念誌』
「明治・大正期」項中p.24-27に「勝山女学館の誕生」(吉村ヨシ氏の肖像写真付)、「勝山女学館創立者 吉村ヨシ先生の業績と人柄」、「設立趣意書」(末尾に「設立者 吉村ヨシ」とある)の掲載がある。
p.38に「吉村先生 杉山先生の思い出」と題して、2名の同窓生が文章を寄せている。

「軍国日本と勝山高等女学校 小倉女子商業学校時代」項中p.41-42に「本校の創立者 吉村ヨシ校長先生逝く」の掲載があり、「告別式」、「吉村ヨシ先生」など写真4葉を付す。
(参考)p.43「物資不足を克服 校地変更に踏切る」に吉村ヨシ校長の後任の記述がある。


参考資料2『小倉のひとたち』
p.101-102に吉村ヨシの来歴が掲載。

参考資料3『北九州市史 近代・現代 教育文化』
「第二章 近代教育の確立 第三節 中等教育 (六)私立学校」項中p.106-107の表「北九州市域に設立された私立学校(明治後半期)」に、勝山女学館の学校長として、吉村ヨシの名がある。

参考資料4『小倉市誌 補遺』
「第五章 教育 第二節 学校教育 第四項 高等学校」項中p.475-477に「財団法人美萩野学園」(目次では美萩野高等学校)があり、沿革の大要に「明治四十一年六月 吉村ヨシ私立技芸学校を設立し勝山女学館と称し、大坂町の民家を借りて授業を開始。」とある。
また、「第十二章 人物 第三節 補遺」項中p.934-935に『北九州の人物 上』(事前調査資料)から引用した「吉村ヨシ」の記述が、p.936に「美萩野学園報告の履歴書」がある。

参考文献

タイトル 注記
創立60周年記念誌 p.24-27,38,41-43
小倉のひとたち p.101-102
北九州市史 近代・現代 教育文化 p.106-107
小倉市誌 補遺 p.475-477,934-936

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