事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0000025279 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2020/04/08 |
福岡市の黄檗宗千眼寺を開山した天祐律師という僧侶について、名字など詳しく知りたい。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済 |
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公開日 | 2021/04/28 |
関連質問番号 |
参考資料1『福岡県史 通史編 福岡藩 文化(上)』の第1章第三節p.40-41に「綱政の寺院関係では元禄十二年(一六九九)の黄檗宗曇華庵(千眼寺)の開創が特記される。開山天祐は筑前の出身、長崎で直接黄檗を学び・・」の記述と参考資料2-4に挙げた3件の文献が挙げられている。
参考資料2『筑前国続風土記附録 中巻』p.407、参考資料3『新訂黒田家譜 第3巻』p.143-144にも上記と同様の記述があり、参考資料4『筑前人物遺聞』p.99-101には「第九十四 岡崎氏の子天祐は曇華庵の開山となれり」の章が設けられ、天祐の名字が「岡崎」であるとわかる。
天祐の名字や氏名については、参考資料5『博多町人と学者の森』p.179-181に項があり、氏名が「天祐海信」、「岡崎弥平太の第三子」であることが記されている。参考資料6『筑前名家人物志』p.113に「俗名ヲ岡崎平助ト云フ」とあり、資料7『東風西声 九州国立博物館紀要 2016 第12号』p.1には千眼寺の開山者として「天祐海信」の記述がある。
参考資料8『月刊はかた 46号』p.34-35には「大悲山千眼寺」の記事が掲載されている。
参考文献
タイトル | 注記 |
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福岡県史 通史編[1] | p.40-41 |
筑前国続風土記附録 中巻 | p.407 |
新訂黒田家譜 第3巻 | p.143-144 |
筑前人物遺聞 | p.99-101 |
博多町人と学者の森 | p.179-181 |
筑前名家人物志 | p.113 |
東風西声 2016年 12号 | p.1 |
月刊はかた 1992年9月号 46号 | p.34-35 |
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