事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0000025425 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2020/06/05 |
江戸時代の商人、大賀宗九の屋敷跡は福岡市のどこにあったのかを知りたい。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済 |
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公開日 | 2021/04/28 |
関連質問番号 |
大賀宗九屋敷跡の石碑等はないが、以下の資料に屋敷に関する記述がある。
参考資料1『福岡県史 通史編 福岡藩(一)』には、以下2ヶ所の関連記述がある。
p.619「大賀宗九は、もとは大神氏と称して大友氏の家臣であったが、大友氏が滅亡すると大賀に改めて中津の商人となり、黒田氏が筑前に移ると、長政を慕って博多に移住し、呉服町に住んだという。別の説では、黒田氏入国以前から博多に住んでいたともいうが詳細は不明である。」
p.637「大賀家は宗九の長男善兵衛要貞、次男九郎左衛門信房、三男惣右衛門信貞(宗伯)の三家に分かれ、それぞれ上大賀、中大賀、下大賀といわれ、屋敷は上が呉服町の旧寿屋のあたり、それより浜の方へ中・下があった。」
参考資料2『長崎と博多商人』
p.81「大賀家の屋敷 大賀宗九が博多呉服町下に屋敷を設置したのは、黒田長政が筑前国に入国する以前のことゝ思われる。この屋敷は拝領屋敷でなく宗九自身、中石堂町南側の袖の湊(後の博多大水道)を埋め立てた長方形の出島屋敷であって、(略)」
参考資料3『英傑 博多の豪商 大賀宗九(本姓大神)実録』
大賀宗九から十四代目当主の大賀静子氏の著書であるが、p.40「この書院は博多呉服町の大賀屋敷にあって同屋敷は間口六十間(約百九メートル)奥行き三十間(約五十四メートル)また他に宗九の隠居所があった。」という記述がある。
参考文献
タイトル | 注記 |
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福岡県史 通史編[3] | p.619、p.637 |
長崎と博多商人 | p.81 |
大賀宗九(本姓大神)実録 | p.40 |
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