事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0000022770
状態 受付済
質問日 2019/11/24

四神の思想を取り入れて町や建物を作った事が書かれた資料をみたい。
日本でなくても良い。

図書館からの回答

回答状態 公開済
公開日 2020/03/31
関連質問番号

◆参考文献2『広辞苑』p1281
「し-じん【四神】 ①天の四方の方角をつかさどる神、すなわち東は青竜せいりよう、西は白虎びやつこ、南は朱雀しゆじやく、北は玄武げんぶの称。四獣。(以下略)」
「-・そうおう【四神相応】 四神に相応じた最も貴い地相。(中略)平安京はこれを持つとされた。四地相応。」の記述あり。

◆参考文献3『比較文化事典』p87-88
語義、由来、建都思想としての四神相応、江戸と四神、家相と四神の項目あり。
それぞれに以下の記述がある。
▶語義 「都の東西南北を青龍、白虎、朱雀(赤い霊鳥)、玄武(亀と蛇の合体で黒)の四神が守護するとの思想。四神に対応する地形が存在する場が都としてふさわしいと考えられた。」
▶建都思想としての四神相応 「藤原京から平城京に遷都する詔に、新都が「四禽」に叶う地であることが示され、四神相応の考え方があったことがわかる。京都の地も四神相応の地と考えられた。(中略)『平家物語』の「都遷」では、遷都において四神相応の思想が用いられたことが種々説かれている。」
▶江戸と四神 「江戸も四神相応の思想で建都されたとの説がある。(後略)」

◆参考文献4『図説民俗建築大事典』p55
「四神相応  (前略)四神相応は集住空間が成り立つための方位、方向、位置関係の重要な要素になる。また都城をはじめ、墓にまで適用させるが、都城、集落などは四神相応の要素が揃いやすい一方、独立した住宅や墓は四神相応の地形を得ることは難しい。(後略)」の記述あり。

◆参考文献5『江戸の町 上』p12-13
「都市計画の原理」の項あり
「四神相応の地形」に沿った都市作り(平安京、江戸)についての記述、図あり。

◆参考文献6『戦国残照-お江とその時代』p140
「江戸と四神相応 (前略)四神相応は、これらの霊獣に相応しい土地を配して、都市を守ろうとする「風水」に基づく地相学である。(中略)「船岡山」「鴨川」「山陰道」「巨椋池」を配した平安京、「十王岩」「滑川と逆川」「東海道」「相模湾」を配した鎌倉など、四神相応は様々な都に応用されてきており、江戸もまた、例外ではない(中略)「其土地は四神相応に相叶ゑり」とあるその地形は、北に麹町台地と上野山、東に平川、西に甲州街道、南に江戸湾を抱くものであった。(後略)」の記述あり。

◆参考文献7『京都の町家と町なみ』p2-4
「四神相応の地」に「四神相応=京都地形説」、「四神相応=盆地説」について記述あり。「図1 古代平安京」の掲載あり。

◆参考文献8『日本人にとって聖なるものとは何か』p124
「(前略)平城の地は、青龍・朱雀・白虎・玄武を都の東南西北に配する吉祥図の構図と一致し、都の東北西を守る三山も都の鎮めを果たしている。(中略)まさに奈良の地に都を建てるべきである。」の記述あり。

◆参考文献9『秘説陰陽道』p96-103
「四神相応地」の項あり。
「(前略)この四神相応地は、中世以来、陰陽師が土地の善し悪しを判断する決め手のひとつとしたもので、平安京がその典型だと考えられてきました。(中略)そのため中世以来、平安京は四神相応に基づいて建造された都と考えられてきたのですが、近年では否定的な意見が出されています。(後略)」の記述あり。

◆参考文献10『長安の都市計画』p147
「(前略)五行は、方位や色彩、時間、事物などを象徴するので、都市のプランの細部に影響してくる。(中略)四方には、それぞれ、方神として、青龍・朱雀・白虎・玄武が配される。これらの名称は、城内の方角の目安となる、城門・寺院等の建物の名称に、多用されている(後略)」の記述あり。

参考文献

タイトル 注記
世界大百科事典 12 p255
広辞苑 p1281
比較文化事典 p87-88
図説民俗建築大事典 p55
江戸の町 上 p12-13
戦国残照-お江とその時代 p140
京都の町家と町なみ p2-4
日本人にとって聖なるものとは何か p124
秘説陰陽道 p96-103
長安の都市計画 p147

参考URL

タイトル 注記
レファレンス協同データベース:「四神相応」を取り入れている江戸時代の日本建築が載っている資料が見たい。 2020.03.10最終確認
安部晴明簠簋内伝図解 36-37コマ 2020.03.10最終確認

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