調査・質問内容
質問番号 |
0000013504 |
状態 |
受付済 |
質問日 |
2018/10/23 |
図書館からの回答
回答状態 |
公開済 |
公開日 |
2019/04/03 |
関連質問番号 |
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◆参考資料1『福澤諭吉事典』
福澤諭吉の生涯にわたる事績733項目を収録。
慶応義塾について、その起源や当時の経営状況など幅広い内容が掲載されている。
p.56-57 下記の記述あり。
「福沢諭吉は安政五(一八五八)年一〇月藩命によって江戸に出て、築地鉄砲洲にあった中津藩中屋敷の長屋の一軒を貸し与えられて、蘭学塾を開いた。(中略)この「福沢塾」が正式に慶応義塾と名づけられたのは、芝新銭座に移転した慶応四(一八六八)年四月のことである。」
p.101 下記の記述あり。
「福沢の塾はそれまでは定まった名称もなく、単に「福沢塾」などと呼ばれていた。面目を一新したのを機に、新しく名前をつけようということになり、人の名前にも物の名称にも関係のない、そのときの元号をとって慶応義塾とされた。ここで使われた「義塾」という呼称は、共同結社の意味を現したものと理解されている。」
p.160-161 下記の記述あり。
「大学部は、従来の英語に重点を置いた総合的な教養教育からの脱皮を図る目的で、高度に専門化された学問を授ける教育機関として明治二三(一八九〇)年に発足した。(中略)入学試験は二三年一月一一日から行われ、その合格者と、義塾の正科卒業生の中からの希望者を募り、計五九名(文学科二○名、理財科三〇名、法律科九名)の学生が大学部で学ぶこととなった。」
◆参考資料2『慶應義塾150年史資料集 1』
1863(文久3)年春から1883(明治16)年末までに慶応義塾に入学した人物の学習歴とその後の動静が収録されている。
◆参考資料3『慶應義塾150年史資料集 2』
1858(安政5)年から1890(明治23)年以前までに慶応義塾に在職した教職員の在職時期、職名等が収録されている。
◆参考資料4『慶應義塾百年史 上巻』
◆参考資料5『慶應義塾百年史 中巻(前)』
◆参考資料6『慶應義塾百年史 中巻(後)』
慶應義塾百年の歴史について記述あり。
◇参考URL1『慶応義塾五十年史』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812742 公開範囲:インターネット公開 (最終確認 2019.2.15)
◇参考URL2『慶応義塾七十五年史』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453559 公開範囲:インターネット公開 (最終確認 2019.2.15)
参考文献
参考URL
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