事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0000013507
状態 受付済
質問日 2018/10/06

日本統治時代の京城府本町5丁目は、現在のソウルでは何処にあたるかを知りたい。
当時の地図も併せてみたい。

図書館からの回答

回答状態 公開済
公開日 2019/04/03
関連質問番号

国立国会図書館リサーチ・ナビ「植民地期の京城(現・ソウル)の地図(レファレンス事例・ツール紹介(4)):アジア情報室通報 14巻4号」(参考URL1:https://rnavi.ndl.go.jp/asia/entry/bulletin14-4-2.php)
上記ナビ内「1. 主要な植民地期京城の地図」で以下のサイトを確認。

ソウル特別市のウェブサイト「지도 전시관(地図展示館)」
(参考URL2:http://map.seoul.go.kr/smgis/webs/main/main.do?mode=seoulMapSearch&menuType=archiving)
上記サイト内で、当時の地図と現在の地図を重ね合わせて閲覧することが可能。
1936年当時の地図を選択し、照合する。

上記サイトの地図が韓国語であるため、当館所蔵の資料で現在の位置を確認。
◆参考資料1『ソウル [2017] Seoul』
 p.128-139 ソウル全体図、中心部の拡大図を掲載。

◆参考資料2『地球の歩き方 D13 ソウル』
p.90-127 ソウル全体図、中心部の拡大図を掲載。

照合したところ、「京城府本町5丁目」は現在の「忠武路5街」「中区庁の南東辺り」と推定される。

参考文献

タイトル 注記
ソウル [2017] p.128-139
地球の歩き方 D13 p.90-127

参考URL

タイトル 注記
国立国会図書館リサーチナビ「植民地期の京城(現・ソウル)の地図(レファレンス事例・ツール紹介(4)):アジア情報室通報 14巻4号」 最終確認 2019.2.9
지도 전시관(地図展示館) 最終確認 2019.2.8

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