事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0000037242
状態 受付済
質問日 2024/09/16

【レファ協行・レファレンス協同データベース用】0000036220を館内記録用として残し、こちらをレファレンス協同データベース用として登録。

太平洋戦争下、全国各地に国宝の疎開場所が設けられ、福岡県にも一か所あったようだが、具体的な場所を知りたい。

図書館からの回答

回答状態 公開済
公開日 2025/03/25
関連質問番号

参考資料1『東アジア古文化論攷』Part1
p.25-35「福岡県における太平洋戦争中及び戦後の文化財保護―国宝,重要美術品等の疎開(防空施設)など―」中、p.26に「その場所について思いもかけず福岡県文化財保護課に保管されている当時の文書によって知ることができた。それは,福岡県浮羽郡姫治村(現うきは市)大字新川の野上住五郎方であり,そこはまさしく「軍関係から無縁の地」で「市街から隔離した保存上好適地」であった。」とある。
p.28-29に「昭和20年(1945)2月には,県の内政部長・警察部長から浮羽地方事務所長・吉井警察署長あてに,野上住五郎方に国宝等を疎開することとしたことを知らせている。そして,3月に福岡市の大乗寺・承天寺・東長寺・勝福寺・誓願寺・東光院・1個人,久留米市無量寺の仏像等,計54点が浮羽郡姫治村新川の野上住五郎氏宅収蔵庫に疎開収納された。」とある。p.29に収蔵庫の写真がある。
p.31に「野上家が国宝等の疎開先に選ばれた理由はわからない。」とある。野上住五郎氏の略歴がある。

参考資料2『福岡県文化財保護行政の100年』
p.5に「戦時中の文化財保護への対応は難しい局面があったが、国も文化財疎開を行ったように、地方も同じく文化財を守る措置が執られ、福岡県では福岡市・久留米市などに所在する重要な仏像等について浮羽郡への疎開が行われた。」とある。
p.12-16「(7)福岡県の文化財保護行政の年表」中、p.14の昭和20年「福岡県関係事項」に「3.5 福岡市東光院の仏像など8件54点が福岡県収蔵庫(うきは市の個人宅収蔵庫)に疎開収納される」とある。
なお、本資料は奈良文化財研究所HP「全国遺跡報告総覧」(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja)からダウンロードできる(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/90396 最終確認2025.3.11)。

参考資料3『浮羽郡誌』
人物篇p.487「元姫治村長 故野上住五郎氏」に、経歴や功績の記載とともに肖像写真がある。収蔵庫に関する記載はない。

参考文献

タイトル 注記
東アジア古文化論攷 Part1 p.25-35伊﨑俊秋「福岡県における太平洋戦争中及び戦後の文化財保護―国宝,重要美術品等の疎開(防空施設)など―」
福岡県文化財保護行政の100年 p.5,14
浮羽郡誌 p.487

参考URL

タイトル 注記
『福岡県文化財保護行政の100年』 奈良文化財研究所HP「全国遺跡報告総覧」。最終確認日は2025年3月11日。

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