事例詳細

調査・質問内容

質問番号 0000037671
状態 受付済
質問日 2025/03/20

【レファ協用】いわゆる「神功皇后の新羅親征」の後、「干珠」「満珠」はどこに納められたか。福岡県内ではどういった説があるのか。

図書館からの回答

回答状態 公開済
公開日 2025/11/30
関連質問番号

1.干珠・満珠について
「干珠」、「満珠」について調べたところ、次の参考資料1、2のように解説されている。
◆参考資料1『日本国語大辞典』第5巻
p.378「しおひる-たま しほひる・・【潮涸瓊・潮干珠】〔名〕神代にあったという神宝の一つ。潮をひかせる効力をもつ玉。干珠(かんじゅ)。」
p.379-380「しおみつ-たま しほみつ・・【潮満瓊・潮満珠】〔名〕潮を満ちさせる呪力があるという玉。満珠(まんじゅ)。」

◆参考資料2『日本歴史大辞典』1
p.610の「うみさちやまさち 海幸山幸」の項に「彦火火出見尊が、兄火照尊から借りた釣針を海中に落し、それを求めて渡津海宮に赴き、歓待されて干珠・満珠を得る話」とある。


2.記紀における神功皇后と干珠・満珠
「古事記」、「日本書紀」の神功皇后による「新羅親征」について記述された箇所を参考資料3、4で確認したが、「干珠」、「満珠」に関する記述はみつからない。
◆参考資料3『新編日本古典文学全集』1 古事記
p.247-248に「[三]神功皇后の新羅親征」の項がある。
p.247に「海原の魚、大き小きを問はず、悉く御船を負ひて渡りき(中略)其の御船の波瀾、新羅之国に押し騰りて、既に半国に到りき」とあり、波の力で新羅を攻めたような記述があるが、「干珠」、「満珠」についての記述はない。

◆参考資料4『新編日本古典文学全集』2 日本書紀
p.405-410に「〔二〕熊襲征討」の項があり、p.406に「皇后、如意珠を海中に得たまふ」とあるが、この「如意珠」が「干珠」、「満珠」であるかは書かれていない。

またp.425-429に「〔二〕神助により新羅親征」の項がある。
p.427に「則ち大風順に吹き、帆舶波に随ひ、㯭楫を労かずして、便ち新羅に到る。時に、船に随へる潮浪、遠く国中に逮る。」とあり、波の力で新羅を攻めたような記述があるが、「干珠」、「満珠」についての記述はない。


3.福岡県内の文献における神功皇后と干珠・満珠
福岡県の資料で、神功皇后と「干珠」、「満珠」について書かれた資料には、次のものがある。
◆参考資料5『飛廉起風』
大正十一年の皇后陛下行幸啓を記念して、福岡県が作成した神功皇后に関する資料。
神功皇后御遺跡に関し、各郡市並びに中等学校に命じ、神功皇后の史実伝説口碑を集録させた内容となっている。
門司市の項中p.4「早鞆瀨戸」に「以向三韓、凱旋之後、藏二珠干發祠北二島、所謂乾珠、滿珠是也」とある。
また、p.4-5「懸社和布刈神社」に「又阿雲磯良神の持捧げ玉ふ潮干珠潮滿珠は皇后の聖慮を以て神社の北海上一里餘なる奥津島邊津島に納め奉り給ひ別に兩珠の表相を造り金銀を以て包み當社に秘し置れたるもの往古より傳はれり」とある。

◆参考資料6『福岡県神社誌』下巻
p.143-145に「懸社 和布刈神社」の項があり、参考資料5の「懸社和布刈神社」と同様の記述がある。
またp.145の「主なる寶物」に「干珠 滿珠」とある。

◆参考資料7『門司市史』
p.698-701に「和布刈社速戸明神傳記」がある。
p.700に「神功皇后將征三韓、(中略)乃迎得二珠及礒良神人(中略)藏二珠于祠北之二嶋、所謂乾珠滿珠之二嶋是也」とある。

◆参考資料8「筥崎宮の”玉せせり”」(古田鷹治)(『福岡地方史談話会会報』第10号所収p.82-83)
福岡市東区箱崎にある筥崎宮の正月三日の神事玉取祭についての記事。
玉せせりの起因はいろいろの説があるとしながらも、「神功皇后三韓退治の時、龍神干珠満珠の玉を献せし瑞相をあやとりしものなりと云ふ」という「博多記」を出典とする説を紹介している。
神功皇后が用いた玉が現存するという記述は確認できない。

◆参考資料9『福岡県史』近世史料編[16] 福岡藩浦方
巻頭写真「玉取恵比須神社」のキャプションに「全国各地の浦には潮の干満を司る玉の信仰があり、筥崎宮の史料にも干珠・満珠の文言が見られる」とある。

また、p.251-254の古文書「五 従奈多以訴状被申上候間、従箱崎も言上仕候事」においてp.251に「及七ヶ度干珠・満珠以御策絡(略カ)異国被成御対治」、また「剰右干珠・満珠従竜宮借出給」とある。

◆参考資料10『箱崎漁協の想い出』
p.370-373に「香椎宮と箱﨑浦」の項があり、参考資料9の古文書を引きながら「箱﨑浦の漁師が湾内で漁業を独占しているのに付いて、他浦から守護職に対し異議を唱えられたとき弁指から守護職に対して、箱﨑浦が博多湾内の漁業に特権をもつに至った経過を、説明した文書のようであり」と解説している。
p.373-382に「筥﨑宮と関係神事」の項があり、神事玉せせりの由来について、筥﨑宮汐井浜の沖に光る木の玉が流れており、大勢の若者が海に飛び込んでこれを拾い上げたこと。「これは三韓征伐のとき竜神が神功皇后に戦捷のお守りとして献上した宝珠であろう」ということで、筥崎宮の神前に納めたことが一説として紹介されている。

◆参考資料11『福岡県神社誌』上・中巻
p.23-27に「官幣大社 筥崎宮」の項がある。
p.24-25に「玉取祭 一月三日」の項があり、神事の起因として、「神功皇后三韓退治の時、龍神干珠、滿珠の玉を献ぜし瑞相をかたどりしものなりと云ふ」という「博多記」を出典とする説を紹介している。"大勢の若者が海に飛び込んでこれを拾い上げた"、"三韓征伐のとき竜神が神功皇后に献上した宝珠であろうということで、筥崎宮の神前に納めた"といった記述はみられない。

◆参考資料12『筥崎宮』
◆参考資料13『筥崎宮誌』
いずれも玉せせりの起因として、「博多記」を出典とする説を紹介している。

◆参考資料14『神功皇后伝承を歩く』下
p.69-76に「志賀海神社」の項がある。
p.71-72で表津宮の「亀石 遥拝所」の立札に書かれた文章が紹介されており、「神功皇后が三韓へ出兵される際(中略)黄金雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が出現され、皇后に干珠満珠の玉を授け」とある。

参考文献

タイトル 注記
日本国語大辞典 第5巻
日本歴史大辞典 1
新編日本古典文学全集 1
新編日本古典文学全集 2
飛廉起風
福岡県神社誌 下巻
門司市史
福岡地方史談話会会報 1969-1972年(製) 8-12号
福岡県史 近世史料編[16]
箱崎漁協の想い出
福岡県神社誌 上・中巻
筥崎宮
筥崎宮誌
神功皇后伝承を歩く 下

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